鴨長明『方丈記』所感 岸辺に佇む者たちへ

鴨長明

家族でも家庭でも金銭でも夢でも、その人が自らの大切なものの則って生きることは自由であるけれど、突如としてそれらが失われたり奪われたり立ち消えてしまうことは珍しいことではありません。有形無形の「人生の蓄積」というやつは、いつどこで無に帰すかわかったものではありません。

人はみないつかどこかで社会生活や家庭生活というものの儚さ脆さを思い知らされたことがあるでしょう。そのようなときに改めて自分を支え直してくれるバックアップとなる思想を用意する必要があるのですが、そういうものは「いつ襲ってくるか分からない災害に備えましょう」というのと同じく「わかっちゃいるけど手をつけてない事」の代表格でもあるでしょう。そして「揺れ」が生じて初めて激しく後悔するのです・・・。

本作は世の無常を確信した歌人鴨長明が、その心と生活のありようを綴った随筆。原文は既に失われ、現代に遺るのは幾種類かの写本のみだそうです。本書はそんな種々の写本を基に著者によって編まれた『方丈記』本編とその現代語訳、各種参考資料からなる書籍です。

さて、彼が生きたのは平安時代末期の1155年から鎌倉時代にあたる1216年にかけてであるそうで、時代はちょうど『平家物語』のまっさかり。『方丈記』全編に滲む諦念は、当時の日本を揺るがした源平争乱に発している・・・わけではなく、純粋にその人生行路から発しているようです。

下賀茂神社の統率者である父長継の次男、つまり「いいとこのお坊ちゃん」として生まれ育った長明ですが、自立間際の19歳で父が死去、以降転落人生を送ったそうです。大物であった父を見ながら当然のように自分もその後に続くと思っていたであろう神職就任への失敗、そして歌人として才能と技量を併せ持っていたにも関わらずその道での大成もならず、と見事な負け組人生・・・。

本人の無精や不行跡が祟ったのなら同情の仕方がないけれど、長明自身は真面目な性分の男だったそうだから目も当てられません。ドラマチックではないけれど、挫折と無念の蓄積のような人生であったろうと思います。

また多くの人々を屠った相次ぐ災害も間近に見ています。まず京の都を灰燼に帰した大火事、次いで都中に吹き荒れた竜巻、災害ではないけれど同じ年には福原京への遷都に伴う混乱と寂寥、寂れた京を鞭打つような大飢饉、更に駄目押しのように発生した大地震・・・。

文中に記される克明な記録が物語るように、当時20代半ばから30代はじめにかけてという人生観の根幹を形作るであろう年代にこれらの惨禍を目の当たりにしたのだから堪らない。豪奢な邸も質素な家々も炎に焼かれ、風に舞い、地震に崩れ落ちる。富める者も貧しき者も、老若男女の隔てなく、或いは焼け死に、或いは建物の下敷きになり、或いは飢えの果てに非業の死を遂げる。築き上げられた輝かしいキャリアも、つましい人生の積み重ねも等しく押しひしぐ。

人の世を渡るのは難しく厭わしく、また人生の細い綱を巧みに渡っていても問答無用の変転によって、築いたものは容易に消え去ってしまう。人が社会的に死ぬのも物理的に死ぬのも実に簡単なものではないか・・・。

 すべて、世の中のありにくく、我が身と栖との、はかなく、あだなるさま、また、かくのごとし。いはんや、所により、身のほどにしたがひつつ、心をなやます事は、あげてかぞふべからず。

 いきほいあるものは貪欲ふかく、独身なるものは、人にかろめられる。財あれば、おそれ多く、貧しければ、うらみ切なり。人を頼めば、身、他の有なり。人をはぐくめば、心、恩愛につかはる。世にしたがへば、身、くるし。したがはねば、狂せるに似たり。いづれの所を占めて、いかなる業をしてか、しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき。

自身の社会的没落、周囲に巻き起こる災害の惨禍という長明の味わった諸々の体験は、「いい学校を出ていい会社に入っていい家庭を築いて」云々ではないけれど、人の世を支配する「常識」に不信感を抱かせるに充分だったでしょう。そして説得力がすべてのコンテンツである「常識」は、不信感を持たれてしまってはただのがらんどうとなってしまいます。長明は自分が拠って立つ場所が、自分を縛りつつ守るこの場所が、ただのがらんどうでしかないという思いに突き動かされて出家し、山中に庵を結んでの独居という道を選ぶのでした。

社会との絆が希薄な人間は社会を突き放すのも簡単なのです。大方の人間はそのような状況に陥れば偏屈になって人々に嫌われる拗ね者になり、悪くしては犯罪者にでもなるのがオチかもしれませんが、長明は独りひっそりと山中での独居を選びます。誰と関わることもなく、誰に迷惑をかけるわけでもなく・・・。

 人に交はらざれば、おろそかなる報をあますく。すべて、かやうの楽しみ、富める人に対して、いふにはあらず。ただ、わが身一つにとりて、昔と今とをなぞらふるばかりなり。

 おほかた、世をのがれ、身を捨てしより、恨みもなく、恐れもなし。命は天運にまかせて、惜しまず、いとはず。身は浮雲になずらへて、頼まず、まだしとせず。一期の楽しみは、うたたねの机の上にきはまり、生涯の望みは、をりをりの美景に残れり。

長明は独りでも、そこに孤愁の影はありません。強いられての孤立は不幸でも、好き好んでの孤独は宝物だから。そして音楽という友があるから・・・。

 もし、余興あれば、しばしば松の韻に秋風楽をたぐへ、水の音に流泉の曲をあやつる。芸はこれ拙けれども、人の耳を喜ばしめんとにはあらず。独り調べ、独り詠じて、みづから情を養ふばかりなり。

長明のような人間は、人間社会には何の役にも立たないでしょう。

彼のような者ばかりならそもそも人間は社会を構成することもなく、今この時代も人々は太古の姿のまま生きるのみだったでしょう。だからこのような生き方は胸を張って誇るべきものではないでしょう。しかし人間を縛りも守りもする社会という「巨大なフィクション」を生き切れない長明のような人々はいつの世にも必ず一定数生存し、長明はそのような人々の心のなかで生き続けるのです。

どれだけ社会が繁栄しようと、みんなが一方向を向いている時代であろうと、必ず「私はそう思えません」と言う、または心に思う人々はいます。大抵の人はそんなことを言いつつ、または思いつつも人間社会の流れに押し流されてゆくことを思えば、長明の思い切った晩年の生き様と、それを人々に伝え得る表現能力は実に羨ましい限りなのです。

 ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

終の棲家となった方丈の庵の中で、あの有名な一句に始まる本文をしたため始めた長明の顔は、これまでの人生になかったほど晴れやかな表情をしていたのではないかと思います。それが本心からのものか、世に容れらかった者の開き直りであったとしても問題ではないでしょう。人はどの道何かしらの開き直りを以て日常を営んでいるのではないでしょうか?

テキスト

記事の執筆に使用したテキストは角川ソフィア文庫より刊行の簗瀬一雄著『方丈記 現代語訳付き』。精密な注と自然な現代語訳が付され、豊富な解説や各種参考資料、索引が付いていることで本作の世界観を非常に理解しやすく紹介してくれます。

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