芥川龍之介『奉教人の死』 お前の苦しみは、私がいちばんよく知っている。

芥川龍之介

芥川龍之介は新約聖書を愛読していたそうです。彼のキリスト教観には様々な意見があるようですが、少なくともキリスト教に入信していたわけではなく、先進文化としての西洋文明・思想の源流としての興味、そして批判の対象としていたというのが一般的な理解であるようです。

その真意は誰にも正確に分かりようもないでしょうが、少なくとも聖書やキリスト教の逸話から題がとられたという「切支丹物」と呼ばれる作品を読むにつけ、そこに息づく人々から「キリスト者」という私たち多くの日本人にとって馴染みの薄いものを越えた普遍的な息吹を感じるのです。

本作「奉教人の死」もまた遠い昔、私たちとはまったく違う価値観のもとで生きた、しかし私たちと同じ心を持った人々の物語として深い共感を覚えることができるのではないでしょうか。時はむかしむかしの長崎、「さんた・るちや」と呼ばれたキリスト教寺院を舞台に物語は始まります。

あらすじ:鳩と荒鷲

主人公となる「ろおれんぞ」という若者は、かつて行き倒れの孤児として「さんた・るちや」の人々に保護され、その堅固な信心ぶりによって信仰を共にする同胞たちから信頼され、愛されていました。彼は故郷を聞かれれば天国、父を問われれば神と答えるような風変わりな少年でしたが、なにより人々を驚かせたのはその美貌。まるで少女と見紛うような顔立ちとやさしい声音が人々を魅了し、とりわけ「しめおん」という豪傑の心を惹きつけたのでした。

彼はもと大名にも仕えた武人でしたが、今ではキリストの教えに身を捧げる一介の修道士として「さんた・るちや」に起居し、弟のように愛する「ろおれんぞ」とともに信仰の日々を送ったのでした。少女のように可憐な少年と頑健なもと武人とが仲良くむつみ合う様子は、まるで懐き合った鳩と荒鷲のようだと人々は囁き合ったということです。

しかし「ろおれんぞ」をめぐって不穏な噂が立ち始めます。「さんた・るちあ」に出入りする信徒の娘と恋愛関係にあるのではないか? 関係を否定する「ろおれんぞ」を訝る同胞たちの疑惑は娘の妊娠と、その父は「ろおれんぞ」であるという娘の告白によって決定的なものとなります。同胞たちの落胆と蔑み、とりわけ誰よりも彼を愛し信頼した「しめおん」からの激しい憎しみを背に石もて追われた「ろおれんぞ」はその日以来、貧民街で貧しさと迫害に苦しみながらの生活を余儀なくされます。

あらすじ2:殉教

それからしばらくしたある日、長崎の町を猛火が襲います。荒れ狂う炎から必死で逃れた信徒たちはしかし、「ろおれんぞ」の赤子が燃え盛る家屋に置き去りになっているのに気づいて慌てふためきます。その火勢はあまりにも強く、戦場を経験した「しめおん」ですらも二の足を踏むほど。そこへ現れたのが、誰からも忘れられていた「ろおれんぞ」であったのでした。

「ろおれんぞ」は凄まじい火勢をものともせず赤子を救わんと家屋に踏み込み、その捨て身の振る舞いに人々は息を吞みつつも心無い思いを抱きます。「かつての罪を恥じて隠れ住んでいたあの破戒僧も親子の情には負けるものと見える・・・」隠しきれない軽蔑の念に駆られる信徒たちは様々な思いとともにことの次第を見届けます。その傍らでただ赤子の母親だけが、地にひれ伏して一心に祈りを捧げているのでした。

見事赤子を救出しながらも焼け崩れる梁の下敷きとなった「ろおれんぞ」は、堪らず飛び込んだ「しめおん」の手で救出されますが、その息はまさに絶えんとしていました。その姿を見守る人々を、それまで一心に祈りを捧げていた赤子の母の悲痛な告白が打ちのめします。

この子の父は「ろおれんぞ」ではないこと。「ろおれんぞ」に恋心を抱きながらもつれなくされた恨みが嵩じ、ある異教徒との間に身籠った子をそうであると言いふらして彼を破滅させ、その恨みを思い知らせようとしたこと。しかし「ろおれんぞ」はそんな自分を憎むことなく憐み、今また自分のような者の子を命と引き換えに助けてくれたのだということ。

想像を絶する告白を前に驚愕する一同は手のひらを返したように「ろおれんぞ」を称えます。ある者は彼の行いを「殉教」であると言い立て、司祭は悲痛極まる懺悔を行った赤子の母を赦し、「ろおれんぞ」の偉業を賛美し・・・

しかし彼らの言葉は、「ろおれんぞ」の胸元からこぼれた乳房によって完全に封じられてしまいます。そう、「ろおれんぞ」は女であったのです。これまでのいきさつのすべてを覆す事実を前に人々はむなしい言葉を発する口を閉じ、「ろおれんぞ」の周囲に跪いて悲痛な思いに打たれたのでした。

「ろおれんぞ」は何に殉じたか?

さて、以上の物語は感動的であると同時に不可解です。その謎は何といっても

なぜ「ろおれんぞ」は身の潔白を証明しなかったのか?

に尽きるのではないでしょうか。この物語は単に奥ゆかしい美談とは思えません。なぜなら「ろおれんぞ」は恋に狂って道を踏み外した娘を庇うため、同胞たちに「無実の者を迫害する」という罪を犯させてもいるからです。私はその理由を、「ろおれんぞ」が娘の奉じる「神」への信仰を共にしていたからではないかと考えました。つまり「人を恋う」心への、果てしない共感であると。

本作で印象深いのは美しい「ろおれんぞ」と、彼を弟のように慈しんだという「しめおん」との関係です。どこへ行くにも手を組み合って歩んでいたという彼らの関係は、「さんた・るちや」に暮らす清く正しいキリスト者でない私たちには容易に恋愛関係を想起させます。そして娘との密通容疑のさなか、疑い深く自分を問い詰める「しめおん」に対する態度はもはや恋人同士のぶつかり合いの感をぬぐえません。

「ろおれんぞ」はわびしげな眼で、ぢっと相手を見つめたと思へば、「私はお主にさへ、嘘をつきさうな人間に見えるさうな」と、咎めるように云い放つて、とんと燕か何ぞのやうに、その儘つと部屋を立つて行つてしまうた。かう云はれて見れば、「しめおん」も己の疑深かつたのが恥しうもなつたに由つて、悄々その場を去らうとしたに、いきなり駆け込んで来たは、少年の「ろおれんぞ」ぢゃ。それが飛びつくやうに「しめおん」の頸を抱くと、喘ぐやうに「私が悪かつた、許して下されい」と囁いて、こなたが一言も答へぬ間に、涙に濡れた顔を隠さう為か、相手をつきのけるやうに身を開いて、一散に又元来た方へ、走って往んでしまうたと申す。

青空文庫「奉教人の死」より抜粋

このふたりは恋愛関係にあったのでしょうか? しかし「しめおん」が「ろおれんぞ」の肉体的特徴にまったく気づいていなかったのが明らかなように、ふたりの関係はあくまでもあまりにも深い友情か、それ以上であったとしてもプラトニックな関係性であったようです。そして以上の記述を読む限り相手に対するより強い感情に支配されていたのは「ろおれんぞ」の方ではなかったかと思います。

「しめおん」を想う「ろおれんぞ」の心と「ろおれんぞ」を想う娘の心。それぞれ意味合いは異なるとはいえその内情は「人を恋う」という意味で同じものであったとは言えないでしょうか? というより「ろおれんぞ」の心もまた、娘と同じく「しめおん」に対して紛れもない「恋心」を抱いていたと思えはしないでしょうか。

悲痛な恋心を暴走させ、自らを傷つけ人を陥れるという罪悪まで犯した娘に対して「ろおれんぞ」は同じ痛みを抱く者として限りない同情を抱いたのではないでしょうか。それが自分を犠牲にするだけではなく仲間たちにも過ちを犯させる道を外れた行為であることは百も承知で、自分と同じ苦しみに惑い悶える娘に対して「正しい態度」をとることができなかったのではないでしょうか?

「キリスト教」を超えて

あえて誤解を誤解のままで放置するという罪を犯した「ろおれんぞ」は、この時初めて外からのお仕着せではない心の内から発した「宗教」に目覚めたのかもしれません。それはなにもキリスト教を否定し去るものでは決してなかったでしょう。彼女は「さんた・るちや」から追放されたあとも神への信仰を篤く持ち続け、赤子を救うために地獄のような火事場に飛び込むときも神の加護を叫んだのです。「ろおれんぞ」の中ではキリストの教えと自らの行いとは何ら矛盾することはなく、「為すべきこと」を為し、「あるべき道」を歩む者の確信にあふれているように見えます。

本作の終幕で印象深いのはかつて「正しき者」として「ろおれんぞ」を糾弾した人々の行いの空疎さです。娘の懺悔によって真相を知った途端感動に咽び「殉教」を口にする人々。娘の罪に「赦し」を与え、「ろおれんぞ」の徳行を称える司祭。

たしかに迫害にさらされながらも自らの信じる「教え」を貫くことで死を迎えた「ろおれんぞ」は殉教者と言えるでしょう。しかし迫害者であった自分たちが一転、迫害した者を称える浅はかさ。人々を教え導く立場にありながら人々とともに「ろおれんぞ」を追いやり、今になって上から目線で褒めたたえる司祭の言葉の浅はかさ。

彼らもまた「ろおれんぞ」の罪の犠牲者ではあるものの、この場面ではみなと同じ「教え」からはみ出すことなくある意味安全な道を歩む者と、正しいとされる道を踏み違えてでも自らがすべきと信じた道を歩んだ者の違いが垣間見えるようはないでしょうか。そして空虚な称賛を並べる一同を打ちのめしたのが「ろおれんぞ」の胸元からのぞいた乳房の存在。それは「ろおれんぞ」が女であったという誰も予期しなかった事実に対する驚き以上に、あらゆる宗教の発生以前から存在した「人間」の根源に対する畏敬を象徴するものとは考えられないでしょうか。

この世に無数に存在し、ありとあらゆる名を付けられた「宗教」なるものは、結局のところ人間が人間である限り抱き続けざるを得ない心や業の輪郭をなぞる営為に他ならないのかもしれない、と思うのでした。

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