『夏目漱石全集〈2〉』【倫敦塔・カーライル博物館・幻影の盾・琴のそら音・一夜・薤路行・趣味の遺伝・坊ちゃん】〈洒脱と美麗の振り子8作〉

夏目漱石
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本巻に収録されているのは『倫敦(ロンドン)塔』『カーライル博物館』『幻影(まぼろし)の盾』『琴のそら音』『一夜』『薤路行(かいろこう)』『趣味の遺伝』『坊ちゃん』という8作品。いずれもシリーズ展開だった『吾輩は猫である』と並行して書かれた作品のようである。予備知識皆無の無教養人としてまず印象的なのはその文体の振れ幅

漱石体験としては重いテーマながら平易で読みやすい文体の『こころ』、軽妙洒脱かつ皮肉が効いた『坊ちゃん』と『吾輩は猫である』しか知らなかった私にとっては『倫敦塔』『幻影の盾』『一夜』『薤路行』で展開する薫り高いなどという気障な言い回しを使いたくなるほどの美文調には意外な思いを抱かされながら読んだのでした。巻末の解説文でも併録の諸作品を美文調と江戸軽文学の二つの流れとして比較的に論じられています。

そして「この人はきっと女には惚れるまい」などという印象を抱いていた下世話な私にとってもう一つ意外だったのは、『幻影の盾』や『薤路行』で展開する古式ゆかしい純愛ロマンスな作風である。いやぁ人間色んな顔があるもんだ・・・と思いながら読み進めた次第。

以下はそれらのざっくりとした所感であります。

『倫敦塔』

来るに来所なく去るに去所を知らずと云うと禅語めくが、余はどの路を通って「塔」に着したかまたいかなる町を横ぎって吾家に帰ったかいまだに判然しない。どう考えても思い出せぬ。ただ「塔」を見物しただけはたしかである。「塔」そのものの光景は今でもありありと眼に浮べる事が出来る。前はと問われると困る、後はと尋ねられても返答し得ぬ。ただ前を忘れ後を失したる中間が会釈もなく明るい。あたかも闇を裂く稲妻の眉に落つると見えて消えたる心地がする。倫敦塔は宿世の夢の焼点のようだ。

この一文を読んだ瞬間に私はこの作品に引き込まれた。私はたいがい無教養だが、漱石がイギリス留学中に神経衰弱に陥ったということぐらいは何かで聞いたことがある。この作品は彼がそのような精神状態に陥っているとき、かどうかは知らないけれど少なくともそういった状態になる前後、に遭遇した経験を基に綴った作品でしょう。そして上記のような前を忘れ後を失したるような心持のうちに闇を裂く稲妻の眉に落つると見えて消えたる心地とともに宿世の夢の焼点と思えるモノと遭遇した記憶なら、私にも覚えがあったのです。

私には海外留学はもちろん、郷里を遠く離れた地で長期間起居した経験すら希薄な人間ですが、例えば一文無しで家を飛び出し、友人も知人もなく、二度と帰るつもりもなく、我ながら少しは深刻に追い詰められたような心持で見知らぬ土地を流されていく小石のような心持でウロチョロと放浪したことがあり、その時に見かけたり見上げたり見下ろしたりしただけの名前も地名も由来もなにも知らない癖にやたらと心に焼き付いている建物や風景や光景というものがあります。

倫敦塔ほど高級なものではないけれど、その時のことを思い出したとき、それに出逢うことが宿命だったという誇大妄想に陥るような、不思議な印象と共に脳裏に蘇ってくる宿世の夢の焼点がある。私にとってはマトモな生活とマトモでない生活の境目を歩いていたときに刻み込まれた光景が「塔」であり、人はそれぞれ各々の「塔」があるのではないかと思うのです。そして良くも悪くも幻想に包みこまれた宿世の夢の焼点は冷静な頭で眺め直してはいけない。冷静な頭で眺めたが最後、幻想が剥がれおち、案外下らない正体を目前にして愕然とする。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」は笑うに笑えない真理だと思う次第。

閑話休題、留学先のロンドンに棲みついたものの他の日本人並みの伝手や便宜さえもなかったらしい漱石は交通の便さえ分からぬ完全なる異郷の地で途方に暮れる。このままでは自分の神経は鍋で煮られる麩海苔のようにべとべとになってしまう・・・。そのような時分にどこをどう歩いたか辿りついた倫敦塔。何にどう誘われたかその内部に取り込まれた倫敦塔。いみじくも自身の精神状態と同じく陰惨を凝縮した倫敦塔。漱石の心の蔭と英国の歴史の蔭が共鳴して書き上げられた作品『倫敦塔』。塔の血塗られた歴史の幻影が不可思議に奇妙に悲哀に満ちて、それでも美しく語られる。

・・・のかと思いきやその結末には拍子抜けするほどの「オチ」が用意されている。やはり「塔」は冷静になった頭で二度も、ましてや三度も見るものではない。そしてこのオチの付け方に『猫』や『坊ちゃん』流の漱石の諧謔を見る。自分の味わった苦しみをいかに突き放して解剖するかが表現者としての腕前なのかもしれない、とか、余計かつ小利口な事々を考えたりする。

続くは同じくイギリス留学中の体験に基づく作品。

『カーライル博物館』


無教養を以て任ずる私は無論カーライルなどと言われたって解らない。なぜ漱石がカーライルを尊敬していたかという経緯も知らない。なんでもスコットランド生まれの評論家・歴史家であり、テムズ川北岸のチェルシーに住んでいたことから「チェルシーの哲人」と呼ばれていたそうだ。四角四面の家に四角四面に暮らし、四千万の愚物と天下を罵り、四十年間やかましい小言を吐き続けに吐き、人声往来の物音に懊悩して屋根裏部屋を設えた挙句今度は鐘の音や汽笛の音に懊悩したというカーライルはどこやら漱石または漱石の作品上の人物と似ている気がすると愚考した。

漱石はカーライルに自分の似姿を見ていたのかもしれない。漱石にとってカーライル博物館訪問は知る者とてない異郷の地で、同胞匂いのするものとの短い逢瀬だったのかもしれない。

一時間の後倫敦の塵と煤と馬車の音とテームス河とはカーライルの家を別世界のごとく遠き方へと隔てた。

倫敦塔と違ってカーライル博物館へは4度ほど足を運んだそうであります。

『幻影の盾』


本巻中『薤路行』と並んで美文調が印象的な作品。「一心不乱」というものを写すために中世騎士物語の世界に舞台を借りて表現したという幻想的ロマンス。

さて、私はロマンスの類に興味がなく、また漱石にもロマンスはなんとなく似合わない。先にも書いたけれど、今まで触れた作品を読む限りは失礼千万ながらこの人が女に惚れる型の人とは思えないし、恋愛というものに純な思い入れを持っている人だとも思えない。ならば巻末解説いうところの散文による詩、ファンタジーとロマンスに彩られた一幅のタペストリーを見るような作品を作り上げるために格好な題材として取り上げたのか、はたまた解説いわく恋愛そのものに対する憧憬は、漱石の胸の底にやどっていたのであろうか。ううむ。

あらすじは祖先が北方の巨人との戦いに勝利したことで手に入れた、願いを聞き届ける代わりに身を滅ぼすことも有り得るという曰くのある『幻影の盾』を受け継いだイギリスの若き騎士ウィリアムを主人公とする物語。

ウィリアムは白城の城の城主「狼のルーファス」に仕える騎士である。そして白城の城と親しい間柄にある夜鴉の城の城主の愛女クララに恋をしている。二人は相思相愛ではあるが、ある日二つの城の間が険悪となり戦争が勃発する。ウィリアムはもとより豪傑であるので戦に参加することにもそこで功を立てることにも異存はない。ただ夜鴉の城を攻め落とすとなれば愛するクララの命も終りである。しかし戦に身を入れねば自分が戦死する。

懊悩するウィリアムの心中を察した朋輩の騎士シワルドはある提案をする。密かに使いを出してクララを逃がし、ともにはるか南のイタリアに落ち伸びればよい。意を決したウィリアムはクララに手紙を送り、迫る戦の直前に駆け落ちの計画を立てる。あとはどうなるかわからない。しかし自分には思いを叶える魔性の『幻影の盾』がある・・・。果たして二人の若き男女の運命は。

前述のように私はロマンスの類にはさして心を動かされないけれど、凝りに凝った文章には心を動かされた。正直凝りすぎてよくわからない個所や退屈さえ感じさせる個所もなくはなかったけれど、ときに目を見張らされる筆致に出会い、『猫』『坊ちゃん』流の軽妙洒脱が美文を志せばこのように化けるかと驚嘆する。

 ウィリアムの馬を追うにあらず、馬のウィリアムに追わるるにあらず、呪いの走るなり。風を切り、夜を裂き、大地に疳走る音を刻んで、呪いの尽くるところまで走るなり。野を走り尽くせば丘に走り、丘を走り下れば谷に走り入る。夜は明けたのか日は高いのか、暮れかかるのか、雨か野分か、木枯か―知らぬ。呪いは真一文字に走る事を知るのみじゃ。前に当たるものは親でも許さぬ。石蹴る蹄には火花が鳴る。行手を遮るものは主でも斃せ。闇吹き散らす鼻嵐を見よ。物凄き音の、物凄き人と馬の影を包んで、あっと見る睫の合わぬ間に過ぎ去るばかりじゃ。人か馬か形か影かと惑うな、ただ呪いその物の吼り狂うて行かんと欲するところに行く姿と思え。

磨き込まれて鈍く底光りする彫像でも見ている思いがする。読み手を一気に異世界に引きずりこむような終末に乱歩小説読後のような、頭がぼうっとするような余韻に浸る。

『琴のそら音』


こちらは一転して軽妙な方面に振れた作品。友人との何気ない会話から病に臥す許嫁への心配を募らせる主人公の懊悩に満ちた一夜の顛末を描く。迷信に凝り固まった手伝いの婆さんの小言、往来での奇妙な出来事、全てが不気味な符合をもって主人公の懸念を煽り燃え立たせる。果たして許嫁の容態やいかに・・・。「緊張と緩和」という言葉を地で行く一作。

『一夜』


八畳の座敷に髯のある人と、髯のない人と、涼しき眼の女が会して、かくのごとく一夜を過した。情景を写した一文と作者は言う。そこには特別な事件もあらすじというべきこともない。

彼らの一夜を描いたのは彼らの生涯を描いたのである。とも作者は言う。人生を描いたので小説をかいたのではないから仕方がない。とも言う。それがどういうことを指すか、何度か読んだがよく解らない。または言葉に固まらない。ただその意味や意図を推し量ることなく目を愉しませるだけに絵を眺めるように、文章と脳裏に浮かぶ印象を愉しむためだけに読んだ作品。もっと漱石作品を読み込めばもっと解るようになるのかもしれない。

『薤路行』


引き続き美文調の作品。『幻影の盾』と同じく中世騎士物語の、しかしこちらはアーサー王伝説のランスロットとギニヴィアの恋物語という具体的な原型を持つ物語。ある点において車夫のごとく見えるランスロットに飽き足らず、また車夫の情婦のような感じがあるギニヴィアに飽き足らなかったという漱石がリライトしたもの。

病と称してアーサー王をはじめ騎士たちがこぞって参加する槍試合を欠席し、同じく一人城に残ったギニヴィアと逢瀬を重ねるランスロット。しかし二人の仲が発覚し、ともに焼かれるという凶夢を見たというギニヴィアの告白に不吉を感じ取ったランスロットは少しでも疑惑となる事態を避けるため、遅ればせながら皆と同じく槍試合の会場へ向かうことを決意する。物語は道中の彼に愛を捧げた乙女エレーンが出現したことで発生した哀しいロマンス。

乙女の報われない恋心の行方は。許されない恋に身を焦がす二人の運命は。試合で重傷を負いながら「罪を追い罪に追われる」ランスロットは何処にどう辿り着いたのか、恋仇の出現に揺らぎ罪の暴露の瀬戸際に立たされたギニヴィアを見舞う変転の結末は。すべての結末は曖昧な形で読み手に委ねられる。

『趣味の遺伝』


こちらは、またも軽妙に舵を切った作品。日露戦争の勝利に沸く世間を斜に見る”天下の逸民”である主人公がふとしたきっかけで凱旋式に遭遇したことで想起した親友こうさんとの思い出を巡る物語。巻末解説では筋の運びが自然に行っておらず失敗作と評されていた。確かに少々内容が雑多な印象だけれども、『猫』や『坊ちゃん』に通じる世間の喧騒を諧謔と皮肉を交えて眺める視線、戦争という巨大な石臼に挽き潰されることの悲愴と、戦争に屠られた浩さんへの愛惜に満ちた筆致は読み手を食い入らせる迫真の一言。私にはとても失敗作とは断ぜられない。

凱旋式をきっかけに亡き友への思いに駆られた主人公は浩さんの墓参を思い立つ。しかし墓前には既に先客が。しかも妙齢の女性である。浩さんに女の知り合いがあったとは知らなかった。浩さんの生活はすべて親友のこの自分が知っていたというのに。果たしてあの女は何者・・・?

話はここから急遽コメディの気配を帯び始める。それが誰だって何者だって主人公にはどうでもいいことじゃないか。探偵のような下等な真似はしたくないとか何とか言いつつしっかり素人探偵となった主人公はついに自分が興味を持ち始めていた遺伝学との関連という一見、いや、一見しなくても無茶な方法論を用いて女の正体に迫ってゆく。しかもそれが思わぬ効果を発揮して・・・。

結末はめでたしめでたし形式で終わるコメディ作品といった手応え。しかし同時進行していた『猫』やこの後の『坊ちゃん』には及ばないという印象。しかし前述した前半部の戦争と浩さんへの哀悼に満ちたくだりは圧巻。そして他者への不可解なまでの愛着と探究心に『こころ』の登場人物の匂いを少し嗅ぐ。まぁそれは流石に無理筋だろうけれど。

『坊ちゃん』


上記7作を読んだ後に読むと清新の思いさえする。いや別に他が面白くなかったとかそういうわけではなく、流れるような筆致、テンポの良さ、無駄のない展開に胸のすくような思いさえさせてくれる。

物語は親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりして居る主人公の巻き起こす騒動記。始めから終りまでひたすらに軽妙で洒脱で読みだしたら止まらないという陳腐な形容詞が浮かぶ本作だが、内容を思うとなかなかに生臭く遣り切れない。

『坊ちゃん』という題はもちろん主人公のことである。幼い頃は彼を持て余す家族に代わってその性格を認め慈しんでくれた手伝いの老婆きよから「坊ちゃん」と可愛がられ、成長してからはその余りにも直情径行な性向を世間知らずの「坊ちゃん」と揶揄された男の物語。そして読者であるこちとらは坊ちゃんの思想や行動に大いに共感しながらも、その実坊ちゃんの仇敵「赤シャツ」や「野だいこ」と変わるところがない。ただこちとらは赤いシャツを着ず、幇間染みた言葉を使わないばかりなのでげす。

頁の向こうから「よく笑っていられるね」という作者の冷たい目を感じる心持がする。世の大半の人間は赤シャツや野だいこのような俗物か、中学の生徒のような馬鹿ばっかりなのであり、坊ちゃんや山嵐のような人間は世間の片隅で燻ぶるかテロリズムに精を出すばかりなのかもしれない。

 実にひどいやつだ。到底知恵比べで勝てるやつではない。どうしても腕力でなくっちゃだめだ。なるほど世界に戦争は絶えないわけだ。個人でも、とどのつまりは腕力だ。

重厚な美文と闊達な散文の対比が愉しく、また漱石によるロマンスという意外な作品の存在が興味深かった巻。

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