カフカ『変身』 世界の異物になるとき。世界が異物になるとき。

カフカ

ある日突然大きな毒虫に変身した青年グレゴール・ザムザの顛末を描く変身。現代社会に置き換えるならば例えば「引きこもり」「うつ病」、はたまた「認知症」など、一般的な生活からかけ離れてしまった人々とのかかわりの難しさ、痛ましさ等と考えることができるでしょう。私の心に芽生えたのはしっかりと社会生活に参加し、精神状態もすこぶる健全であるにもかかわらず人間社会から零れ落ちてしまう「ある瞬間」を切り取った作品として読み解けるのではないかという思いでした。

さて、いったいグレゴールは家族にとってなんだったのでしょう? 毒虫になってしまう前のグレゴールはけっしてぐうたらな与太者ではなく、困窮する一家を支えるべく懸命に働き、稼ぎのほとんどを家に入れ、楽器が巧みな妹を音楽学校に入れてやろうと目論んだりもしている良き息子であり良き兄でありました。そんなグレゴールを家族はどう思っていたのだろう? また周囲は彼をどう見ていたのだろう? というのが私の疑問の第一でした。

孝行息子グレゴール?

一家が困窮し始めたのは5年前のの事業の失敗に拠るようです。グレゴールは家族を絶望のどん底から救い出すべく、セールスマンとなって異常なほどの情熱をかけて働きだし、以来一家の家計は彼一人が支えているようです。父は事業の失敗以来働こうとせず、は喘息持ちで家の中を歩くにもぜいぜい息を切らせる有様。はバイオリンを弾くのがうまいだけの17歳の子供でしかありません。「この一家を支えるのは俺しかいない・・・」そんな思いを胸にグレゴールは強い使命感に突き動かされながら日々の労働に勤しんでいたのです。

ところがグレゴールが毒虫になって以後の家族会議では、実は一家の資産は僅かとはいえ残っていたことが判明します。それはもちろん彼の給料のお陰が大なのですが、とりあえず一家が1~2年は食いつなぐ分だけの財産はあったようです。それを漏れ聞いて安堵するグレゴールですが、そもそも彼はそんなこと初耳であり、そもそも彼は稼ぎ頭でありながら家計の状況についてなんの事情も聞かされていなかったようなのです。なんだかテンションがすれ違っているグレゴールとその家族・・・。

 (中略)その金を家に持ちかえって、驚いたり喜んだりしている家族の目の前で食卓に並べてみせることができた。それはすばらしい日々だったのであって、後にグレゴールは、一家の家計をそっくり負担できるだけの金を得るようになり、実際にまた負担したのだったが、あのような日々はその後二度と、すくなくともあの輝かしさをもってしては、くりかえされることはなかった。家族もグレゴールもまさしくそれに馴れっこになってしまい、家族は感謝して金を受け取ったし、彼も喜んで渡したけれども、あの特別な心の温もりはもはや望むべくもなかった。

俺がいなくなって家族はどうなるんだ! と歯噛みするグレゴールをよそに、已むに已まれぬ事情に追われた父は銀行の用務員として働き始め、母はお針子の仕事に精を出し、妹も服飾店の店員として職を得ます。苦しいながらも日々の糧は得ることに成功している家族。しかもなにやら「貧しいながらも愉しい我が家」と言わんばかりに「一家三人」の絆を修復していくかのような家族たち。グレゴールは次第に単なる一家の異分子、邪魔者となって行きます。

毒虫になった息子の姿を見て威嚇する父、恐怖する母。かつて家族のために尽くしてくれた息子への愛着は微塵も感じられず、唯一まともに彼の世話をしていた妹までが、最後には「これを処分するしかないわ」と”これ”呼ばわりをするほど。ザムザ一家の家族としての絆はその程度のものだったのでしょうか? それとも「息子の昆虫化」というのはそんなものを吹きとばしてしまうほどの大事だったのでしょうか?

もうこの家に自分の居場所はないのだと悟ったグレゴールは虚しいながらも安らいだ心地で死んで行きます。死因は明らかではありません。ひと月前に父から投げつけられた林檎が背中にめり込んで怪我をしたという傷が悪化してとは考えられますが、本当にそうだろうか? 自分はもうこの家に必要ないと確信したための意識的な死。私にはそのように思えました。

家族は彼の死を喜び、父を始めとして家族全員が神への感謝を表明して十字を切ります。それ以来家族の絆はより一層強度を増したかのようです。「息子が死んだお祝い」と言わんばかりに三人そろって仕事を休んで郊外に散策に出掛けるザムザ一家の姿は家庭の幸福に輝いています。

――よく考えてみればいまの自分たちの職場環境も満更悪くはない。あとは手頃な家に引っ越しさえすればより快適に暮らせるだろう。グレゴールが見つけてくれた今の家は大きすぎていかん。もっと小さくて安上がりで、その代り便利で実用的な家を見つけるのだ。あぁ、そういえばいつまでも子供だと思っていた娘もすっかり娘盛りじゃないか。近々良い結婚相手を見つけてやらねばならないな。見なさい、あの若く健康的な身のこなしを。あれを見ていると我々の人生にも新たな希望が見えるようじゃないか。なぁ、お前。えぇ、あなた。――

世界と断線する瞬間

かつて両親と妹に安定した生活をさせるために身を粉にして働いていた息子への感傷なんてこれっぽっちも感じさせない晴れやかなラストシーンを読んだ瞬間、この一家にグレゴールは必要なかった、少なくともグレゴールにそう思わせるだけの何かがある家庭だったのだという印象を強くしたのです。グレゴールは心のどこかでそんな思いを抱きながらも「なにを馬鹿な」と一笑に付しながら、家族のためにきりきり舞いしていたのではないだろうか?

グレゴールの仕事ぶりについても疑問符が付く箇所があります。冒頭に繰り広げられる仕事仲間に対する鋭い批判を聞いていると、彼はなかなかのやり手セールスマンであるように思えますが、無断欠勤の追及にやって来た部長の言に拠れば「きみの最近の営業成績ときたら、まことに芳しからざるものだったな」とのこと。部長が腹立ちまぎれに吐いた暴言とも取れるけれど、もしかしたらグレゴールは真面目に頑張ってるけど結果が出ない人だったのかもしれない。いや、しがない販売職からほとんど一夜にして営業職に昇進したという記述もあるし、先の部長の言にしても「最近の」と言っていることから、最近は少し落ち目というだけのことかもしれないけれど・・・。

さて、仕事や家庭生活でも「勢い」に乗って猪突猛進しているとき、ふっと落とし穴にはまったように自分のしていることに疑問を抱きはじめて立ち止まり、実は心のなかに燻ぶらせていた諸々の疑惑や不信感に憑りつかれ、急に自分のしていることやしてきたことがまったくの無意味だったように思え、一切の自信も活力も失くしてしまうという経験が私には少なからずあります。

もしかしたらこの物語は、そんな精神状態に陥って眺めたグレゴールによる家族の肖像ではないでしょうか? この物語において「異物」なのは毒虫と化したグレゴールではなく、虫けらとして扱われるグレゴールの目を通して眺める家族たちではないでしょうか? 世界から突然切り離されてしまった自分。世界の異物になってしまったという思い。しかしそんな自分から見れば、世界こそが理解不能な異物でしかないという思い。読み手の属性や性格、精神状態によって様々な解釈が可能な本作を、私はそういう風に感じ取ったのです。

家族を養うために頑張る自分! 他の同僚とは一味違う自分! 日常の努力を土台とする陶酔感が切れたとき、まるで反動のように自分がとるに足らない邪魔者・障害物・いらんことしいに過ぎないのではないかと思う時。役割に徹しているときに感ずる自信の反動としてのアイデンティティへの不安・不信に駆られる時。まさに自分が禍々しく滑稽な虫けらに過ぎないのではないかと思う時。そんな出来ることならこれ以上味わいたくはない「あるある」状態を克明に切り取った、残酷な喜劇ではないかと思った次第なのです。

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

コメント

タイトルとURLをコピーしました